寒かったけど最高だった。

2012/12/10(Mon) 08:15
日々のつれづれ

ピアニストとピアノの間には距離がある。遠いということではなくて、対等な別の存在であるということ。ピアニストはその距離を保ちつつ、ピアノの力を引き出し、音楽を紡いでいく。演奏が終わると、ピアニストとピアノは「じゃ、また」と別れていく、それはとてもさらりとしたもので、感傷的な感情は何も無い。
弦楽器も奏者と対等な別の存在なのだが、演奏家の手に楽器が渡ると彼らの間には不可分な関係が生まれるような気がする。大袈裟かもしれないが、ソウルメイトの関係。
事実高名な弦楽器奏者は一つの楽器と長い間人生を共にする。楽器と共に空を飛び、世界中に音楽を届ける。音楽家としての生が終わるまで楽器は演奏家を助け、時に叱咤激励する。怒りもするだろう。
ジャン=ギアン・ケラスもジョフレド・カッパ製チェロを『私の最高のパートナー』と呼ぶ。彼の演奏会に行って、その言葉が真実なのだと本当に実感した。
1番が始まった瞬間、息をのんだ。この音はなに?華やかに軽やかに舞う音。深くつややかに静かに潜行する音。決して大きくない地下の小さなホールに神の言葉のような音が次々と放たれ、空間を満たしていく。その音を生み出しているのは、ケラスでありチェロであり、あの二人を分けて考えることは不可能だ。彼と不可分の半身、やはりソウルメイトだ。
人を神扱いすることは間違いだが、ケラスのは神のようだった。
自由自在な弓の動き。腕から手首にかけての動きも全てが自然で、不自由さはみじんも感じられない。弦上を走る指の軽やかさと強さ、美しさ。
演奏が終わって客席に向かって微笑む彼、ああなんて美しいのだろう。

バッハのピアノ曲は二声より三声と、より複雑になるにつれて美しさが増すように思ってきた。しかしチェロやヴァイオリンの無伴奏曲を聴くと、そのあまりにもパーフェクトな旋律に悔しさすらおぼえる。
本当はピアノだって十分完璧なはずなのだ。それぞれ完璧な声部が一つになるだけのことで、自分がそれを再現できていないのだ。バッハが用意してくれているものを少しでも確実に再現できるよう、それが可能なテクニックを身につけられるよう練習を積まなくては。

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