でも映画を見てる分には全然平気〜要は働くなってことか?
「Rails&ties」
トム(ケヴィン・ベーコン)は列車の運転士。寡黙で仕事一筋。看護士として働いてきた妻のメーガン(マーシャ・ゲイ・ハーデン)は末期ガンで、余命わずかと宣告される。それなのにトムは休暇を取ろうともせず今日も特急の運転席へ。
とある踏切にさしかかった時、踏切内に車があるのにトムは気付くが、カーブで急ブレーキを引くと列車が脱線する可能性がある。彼は減速のみでブレーキを引かない選択をする。そして車は大破、運転手の女性は死亡。その車には彼女の息子デイビーが同乗していたが衝突直前に車を離れたため助かった。「あんたがママを殺したんだ、ブレーキを引かなかったじゃないか!」当然彼はトムを責める。母親は息子を道連れに無理心中を図ったのだったが。
トムは停職。メーガンは彼を置いてサンフランシスコへ旅に出ようとするが、彼等の元へデイビーがやってくる。里親と折り合いがつかず逃げ出した彼を息子のようにメーガンは可愛がる。遺族を無断で引き取るのは違法行為だが、死を前にした彼女にはそんなことどうでもよかった。最初は渋っていたトムも、素直でひたむきなデイビーを追い出す気になれない。何よりも妻がこんなにも幸せそうなのだ、彼女の幸せを奪うことは、彼にはできない。
束の間の疑似家族だが、本当の家族以上に幸せに満ちあふれていた。デイビーはトムと同様に電車が大好きで、彼の鉄道模型作りを手伝う。メーガンはピアノを買って「乙女の祈り」の練習。
しかし彼女のガンは着実に進行していった…。
トム夫妻は行き先の無いデイビーに居場所と愛を与えたが、実母の死だけでもいっぱいいっぱいの彼に更にメーガンの死という試練をも与えてしまうことになると最初からわかっていたはずだ。ある意味大人のエゴイズムである。トムは冷静な人間だから、子供を利用してはいけないと頭のどこかではわかっていたと思う。でも妻のわがままを止めることができない。あるいは、トムはデイビーの強さを信頼・期待していたのかもしれない。
メーガンは力を振り絞ってデイビーを愛した、もし彼がいなかったらメーガンはもっと早く死んでいたかもしれない。
デイビーは慟哭する。ママが死んだのは僕のせいだ、メーガンも僕のせいで死ぬんだ、と。親の自死は子供を心底傷付ける、子供は自分のせいで親が自殺したと自分を責めるのだ。その直後に、2番目の母のようなメーガンも逝こうとしている。僕が悪い子だから神様は罰っしようとしてるんだ、デイビーは信心深いから、やはり自分を責める。トムは必死でそれを否定する、ママが死んだのはお前のせいじゃない、メーガンが死ぬのは病気のせいだ。力をこめてデイビーを抱きしめる、お前は絶対に悪くない。このシーンはとても感動的であった。
若干凡庸な設定ではあるし、展開も読めるし、甘いし、でも役者陣が最後までひっぱってくれる。クリント・イーストウッドの娘アリソンの監督作品。
ぷりぷりさん教えてくれてありがとう!
「映画のようには愛せない」
『実力俳優ステファノ(ルイジ・ロ・カーショ)は、彼の主演作品の相手役が無名の新人女優ラウラだと知り戸惑うが、次第に彼女にひかれていく。映画の中の恋が進むにつれて、二人の実人生の恋も進行する。そこには、恋だけでなく仕事に対する嫉妬、苛立ち、ねたみが交錯して‥』(チラシより)
ルイジ・ロ・カーショはいつも爽やかで若々しい。でも軽々しくは無い。瞳の奥底が深くて、その向こうに広大な世界が存在しているような感じがする。植物的でニュートラルな顔と、情熱的でセクシーな顔がうまく同居していて、いい役者だなあといつも思う。
ステファノは傲岸で貪欲だ。自分が一番大事で、自分が他人をぞんざいに扱っていることに無自覚。でも寂しがりやで、人恋しい。ラウラに一目惚れし、彼女のことを深く愛するようになる。しかし彼女が才能を伸ばし、映画監督やプロデューサーらの注目を引き始めると、途端に面白くなくなる。自分の恋人が才能のある同業者であることは構わない、でも自分のキャリアを超えてもらっては困る。そんな身勝手な男だ。(ロ・カーショが演じているおかげでイヤな奴度が低くなっているが。)
ラウラは彼に強く惹かれるが当然何度も傷付けられ、彼の元を去る。そしてそのまま終わるのかと思ったら二人は再会し、再スタートを切る予感を持たせて映画が終わる。ラウラはステファノの子供を生み、彼は自分に足りなかったものを少し理解した。前途多難は予想されるが、彼等は似た者同士であることにお互い気付いていると思う。二人共誇り高く、寂しがりやで、役者馬鹿だ。
彼等が共演する映画の撮影パートと実人生のパートの交錯具合が面白い。どちらも美しく、少し感傷的で、ちょっと滑稽で。
こういう普通のイタリア映画をもっと見たいのに。